第三次世界大戦への憂慮 風水師の視点で考察1(第一次世界大戦)
少し前になりますが、2026年5月31日のコラムは、山内昌之先生(東京大学名誉教授)による「戦略的思考 『気がつけば大戦』の危機」と題した記事でした。米中対立やロシアによるウクライナ侵攻、中東情勢の緊張といった現代の地政学的リスクを背景に、国家間の誤算や戦略的思考の欠如が「気がつけば世界大戦」という最悪の事態を招きかねない危機をはらんでいることが論じられていました。
なお8年前の2018年のコラムでは、第一次世界大戦の開戦に至る教訓を現代の安全保障戦略に生かすべきと論考されていました。
それでは先ず、第一次世界大戦への経緯を追ってみましょう。
第一次世界大戦そのものは1914年、サラエボ事件を端にして勃発しましたが、その直接の引き金となったのが、ヨーロッパの火薬庫と称されたバルカン半島において、1912年に起こった第一次バルカン戦争です。この年、ロシアの後押しを受けたバルカン同盟(セルビア、ブルガリア、ギリシャなど)がオスマン帝国に宣戦布告し、オスマン帝国をバルカン半島からほぼ追い出してしまいました。
さらに領土の分配をめぐって同盟国同士で戦う第二次バルカン戦争に発展しましたが、この戦争で領土を拡大し勢力を強めたセルビアに危機感を強めたオーストリアとの間で、一触即発の緊張状態が生まれました。
そんな中1914年6月28日、サラエボ事件が起こったのです。ボスニアの首都サラエボを訪問したオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が、セルビア人の青年ガブリロ・プリンツィプに暗殺された事件をきっかけに、オーストリア=ハンガリー帝国が、セルビアに宣戦布告します。
その後、セルビアを支援する三国協商側と、オーストリア=ハンガリー帝国を支援する同盟国側がそれぞれ参戦し、第一次世界大戦へと発展してしまいました。
その後のおおまかな経緯は下記の通り。
1914年8月 日本が日英同盟を理由に連合国(三国協商側)として参戦
1915年 イタリアは英仏とロンドン秘密条約を結び、三国同盟から脱退
イタリアが抜けた後、オスマン帝国とブルガリアが同盟国として参入
1915年~1916年 長期化・総力戦戦局の膠着
戦車、飛行機、毒ガスなどの新兵器が投入
西部戦線(フランス・ドイツ国境)などでは塹壕戦となり泥沼化
無制限潜水艦作戦:ドイツが潜水艦(Uボート)による無差別攻撃を開始
1917年 Uボートによりアメリカの商船も被害を受け、アメリカが連合国側として参戦
※連合国側はセルビア、ルーマニア、ギリシャ、中国など総勢27か国
ロシア革命が勃発し、ロシア新政権がドイツと単独で講和を結んで戦争から離脱
1918年 ドイツの孤立と降伏
アメリカ軍の参戦による連合国の反攻と、国内の物資不足、革命運動によって
ドイツの戦力衰退
11月11日 ドイツが休戦協定に調印し、第一次世界大戦は終結
4年間に及ぶ大戦により、推計1,700万人(軍人1,000万人 民間人700万人)が犠牲となりました。
第一次世界大戦は、協商国(後の連合国)側と同盟国側との戦いでしたが、開戦に至る発端の構図としては、上図に記した、三国協商✖三国同盟です。
昔から、三人寄れば文殊の知恵、三本の矢などと言われるように、三つが合わさると何倍もの力を発揮します。四柱推命など命理学においても、三合会局(四正(子卯午酉)を各々中心として3つの支が合すること)すると、とても強いエネルギーを生み出すとされ、風水学においても、三方口訣(さんぽうくけつ)が重視されます。三方とは、住人と坐(建物の向きの180度反対側)と時の3つを指し、人に対し生氣をもたらす関係となるよう、坐と時を定めることを重視し、そうした関係が築かれたときに、重要行事(入居、開所、地鎮祭など)を行うと、天地の生氣を得て、住人が発福するのです。
三合会局

三方口訣

註)主事;住人の生年干支 日柱;生日干支 宅坐;六十四卦方位による坐卦
三国(ドイツ、オーストリア、イタリア)同盟は1882年、そして三国同盟に対抗する形で三国(イギリス、フランス、ロシア)協商が1907年に締結し、その対立関係が第一次世界大戦へと発展、多くの国を巻き込んだ大戦争となってしまったのです。
次回は第二次世界大戦について、同様に構図を用いて考察したいと思います。
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