陰宅風水 風水探訪

~多摩御陵、武蔵野御陵風水考Ⅲ(理氣風水で考察)~

 10月も早いもので、明日から残り3日間となりました。
 今月二回目の投稿は、多摩御陵、武蔵野御陵風水考シリーズの三回目最終章となります。
間が空いてしまいましたので、
 8/26 ~多摩御陵・武蔵御陵風水考(参拝と下盤)~
 10/9 ~多摩御陵、武蔵野御陵風水考Ⅱ(巒頭風水で考察)~
を流し読んでいただいてからご照覧いただけると、つながりがわかり、本稿を通して、日本民族の支柱である天皇家のすごさと、天皇家を支える宮内庁ブレインの風水技法力のすごさを実感いただけると思います。

 先ず、御陵にお眠りになっている大正天皇、貞明皇后、昭和天皇、香淳皇后の主命※は下記のとおりです。
(ご芳名 生年 干支 玄空数 玄空五行 玄空大卦名 卦運の順)
大正天皇 1879年生 己卯 7火 水澤節    八
貞明皇后 1884年生 甲申 3木 火水未済  九
昭和天皇 1901年生 辛丑 1水 地火明夷  三
香淳皇后 1903年生 癸卯 8木 雷澤帰妹  七

 ※主命…主事とも言い、生年干支ならびに玄空大卦の持つ玄空数、玄空五行、卦運等を指す。

 次に崩御後、埋葬の儀が行われた年月日(時は不明)の玄空大卦課式です。
大正天皇 大喪の礼 1927年(一白)2月(八白)7日 

大正天皇 大喪の礼日課式

貞明皇后 大喪の儀 1951年(四緑)6月(四緑)22日

貞明皇后 埋葬日課式

昭和天皇 大喪の礼 1989年(二黒)2月(二黒)24日

昭和天皇 埋葬日課式

香淳皇后 斂葬(れいそう)の儀 2000年(九紫)7月(九紫)25日

香淳皇后 埋葬日課式

 次に、各御陵の坐向(24山)と坐卦です。
多摩御陵(大正天皇陵) 子坐午向 1水 地雷復 八
多摩東陵(貞明皇后陵) 子坐午向 1水 地雷復 八
武蔵野御陵(昭和天皇陵) 子坐午向 1水 坤為地 九
武蔵野東陵(香淳皇后陵) 艮坐坤向 9金 天雷無妾 二

 玄空大卦法においては、三方口訣というセオリーがあります。
 三方とは、主命、墓坐、擇日の日柱のことで、主命に対し、墓坐と擇日の日柱とが吉関係となり、また墓坐に対し日柱が吉関係にならねばなりません。吉関係には五吉といって五種類ありますが、ここでは詳述しませんm(__)m
 関心ある方は、拙者の老師である劉育才老師著の「玄空大卦擇日法要訣」を購読されるか、私塾である立命塾の実践的風水学講座を受講いただけますと幸甚です。

 このブログでは簡潔に、各御陵を三方口訣で考察します。
1)多摩御陵(大正天皇陵)
 日柱⇒墓坐 玄空数は1同志で比和となり吉
 日柱⇒主命 玄空五行が水剋火の剋入で吉
 墓坐⇒主命 玄空五行が水剋火の剋入で吉
 よって三方口訣を満たす。
2)多摩東陵(貞明皇后陵)
 日柱⇒墓坐 玄空五行が金生水の生入で吉
 日柱⇒主命 玄空五行が金剋木の剋入で吉
 墓坐⇒主命 玄空五行が水生木の生入で吉
 よって三方口訣を満たす。
3)武蔵野御陵(昭和天皇陵)
 日柱⇒墓坐 玄空数は1同志で比和となり吉
 日柱⇒主命 玄空数は1同志で比和となり吉
 墓坐⇒主命 玄空数は1同志で比和となり吉
 よって三方口訣を満たす。
4)武蔵野東陵(香淳皇后陵)
 日柱⇒墓坐 玄空五行が木と金の剋出で不吉
 日柱⇒主命 玄空数が3と8の生成関係で吉
 墓坐⇒主命 玄空五行が金剋木の剋入で吉
 よって残念ながら、日柱と墓坐関係のみ、三方口訣を満たさない。

 2008年に談氏三元玄空地理術を伝授いただいてから7年間、数多くの陰宅と陽宅の鑑定をさせていただいてきましたが、三方口訣を満たすのは簡単ではありません。数か月、時には2年以上待たねばならないこともあります。四陵のうち、武蔵野東陵(香淳皇后陵)だけが、日柱と墓坐関係のみ、三方口訣を満たしませんでしたが、二方は吉関係です。実際実践鑑定していると、限られた期間の中で建立や入宅、納骨をせざるを得ないこともあり、二方を吉関係として擇日せざるを得ないことも何度かありました。
 ですから、四陵のうち、三陵は三方口訣を満たしているというのは、実践している風水師の立場からすれば、すごい!さすが!!と感嘆せざるを得ません!!!
 なお、多摩御陵、多摩東陵、武蔵野御陵の三陵はどれも24山で子坐午向なのですが、武蔵野東陵だけはなぜか坐向が振られていて、艮坐坤向になっています。三方口訣を満たしていない反面、坐向が振られている武蔵野東陵(香淳皇后陵)には奥深い秘密があります。
 艮坐坤向といえば、日本では忌む鬼門ラインですが、なぜそうされたのか!?
 香淳皇后の斂葬(れいそう)の儀がなされ埋葬された年は、 2000年(九紫)7月(九紫)25日ですが、年月とも、北に五黄が回座していました。三元玄空地理術では、宅坐または墓坐の方位に五黄が巡る年月は、建立ならびに入宅、納骨はタブーとされており、北方位に属す子を坐にすることができません。
 そこで坐向が振られ、三碧が回座している東北方位に属す艮坐にされたのではないかと思われます。結果として巒頭的にみれば、昭和天皇陵と寄り添うように香淳皇后陵が建立されることとなっています。(8/26のブログ画像参照)

 10/9のブログでも前述しましたが、風水の本家本元である中国においては、度重なる戦乱内乱の歴史の中で、風水に則って建立された御陵やお墓が破壊され、ごくごく一部しか残っていませんが、その風水思想を受け継いだ日本国において、千年以上も長きに渡り、天皇家を中心として、風水墓が建立され続け、また守られていることに、風水師の端くれとして改めて感銘を受けたウメサンです。
 また、皇室の氏神である天照坐皇大御神を祀る伊勢神宮は、風水のバイオリズムである三元九運の20年周期に則り、1300年以上にも渡って式年遷宮を行い続けています。
 日本こそ唯一、国家的に風水を真摯に守り続けている国ではないでしょうか。日本は国土としては小国ですが、侵略されたことはありません。そうした風水パワーが、少なからず日本の目に見えない守りとなっていることを感じるのは、ウメサンだけではないと思います。
 ウメサンにとっても実習生にとっても、天皇家への尊敬の念を改めて深めることのできた風水実習でした。
 
 

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