陰宅風水 風水探訪 風水学セミナー

~ 多摩御陵・武蔵御陵風水考(参拝と下盤) ~

立命塾も第九期を迎え、今期は初めて、陰宅風水講座を設けました。
8/22は浅草の教室にて玄空大卦法の講義を行い、8/23はその実習として、昭和天皇陵を参拝することとしました。当日は10:30に御陵の駐車場に集合することとしましたが、桶川インターから圏央道で向かう途中、八王子付近からかなり本格的な雨となり、雨中の実習を覚悟しましたが、高尾インターで一般道に下り、御陵の近づく頃には雨も止み、天に祝されていると感じました。
各々車三台に乗り合わせて、10:35に8名全員無事に集合。
いざ、御陵へ!
参道入り口には、陵墓の配置図がありました。
大正天皇陵(多摩陵)が、関東に初めての天皇陵として1927年に建立され、その後貞明皇后陵(多摩東陵)が1951年に建立されました。昭和天皇陵が建立される前は「多摩御陵」と称され、今でもその名称が通称となっています。
1989年に昭和天皇の崩御後、多摩御陵の東側に昭和天皇陵(武蔵野稜)が建立され、その東側に香淳皇后陵(武蔵野東陵)が2000年に建立されましたが、「武蔵野稜墓地」が四陵合わせた正式名称です。

多摩御陵配置図
多摩御陵看板

入口で脱帽し、一同礼をして、表参道へ。林の中の参道はゆるやかに蛇行していました。雨上がりでマイナスイオンもあたりに充満していて心地良く、玉砂利を踏みしめて歩く音が心を浄めてくれるようです。
途中、手水やにて手と口を浄めました。陵墓に近づくに連れ、凛とした氣が感じられました。

陵への参道

5分ほど歩くと参道が二つに分かれ、左へ行くと大正天皇と貞明皇后の陵墓、右に行くと昭和天皇と香淳天皇の陵墓に通じています。先ず右に行くこととしました。そこから3分ほど歩くと、鳥居越しに昭和天皇陵を拝むことができました。その右側には香淳皇后陵が造営されていました。

昭和天皇陵と香淳皇后陵

先ず昭和天皇陵に参拝。

昭和天皇陵

参拝後、実習生全員が開盤し下盤※。

昭和天皇陵の坐向を下盤中の実習生達

昭和天皇陵の墓坐は、二十四山で子、六十四卦で「乾為天」でした。

昭和天皇陵 墓坐は乾為天

続いて、東側にある香淳皇后陵へ。

香淳皇后陵

香淳皇后陵は“なぜか”北坐ではなく艮(東北)坐、二十四山で艮、六十四卦で「天雷無妄」となっていました。

香淳皇后陵 墓坐は天雷無妄

そのときは東北に坐が振られている理由がわかりませんでしたが、帰宅後調べる中、“なぜか”の疑問が解けました。次々回の投稿記事にて記したいと思います。

分岐箇所まで戻り、今度は左側(実際には表参道まっすぐ。昭和天皇陵造営時に右側の新参道が造られた。)に2分ほど歩いていくと、貞明皇后陵、その先に大正天皇陵を拝むことができました。
先ずは貞明皇后陵にて参拝。

貞明皇后陵

参拝後、下盤。貞明皇后陵の墓坐は、二十四山で子、六十四卦で「地雷復」でした。

貞明皇后陵 墓坐は地雷復

最後に、大正天皇陵を参拝。

大正天皇陵

参拝後、下盤、大正天皇陵の墓坐は、貞明皇后陵と同じく、二十四山で子、六十四卦で「地雷復」でした。

大正天皇陵 墓坐は地雷復

天候も雨模様であったこともあり、参拝客はまばらでしたが、日本国憲法において、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(第1条)と位置づけられる天皇の陵墓、関東近縁に住みながら、今まで参拝しなかった自分を恥じつつ、初めての陰宅風水講座設定が縁となり、初参拝でき、本当に良かったと感じています。

次回は、~多摩御陵、武蔵野御陵風水考(巒頭風水で考察)~と題して、投稿したいと思っています。
なお次々回に、理氣すなわち玄空大卦法にて考察する予定です。

※開盤、下盤
  羅経盤をカバーを開けて取り出すことを開盤といい、羅経盤にて坐向や来龍、来水、去水などの方位測定をなすことを下盤という。なお、羅経盤をカバーに戻すことを閉盤という。

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