風水学 陰宅風水 風水探訪

立命塾研究会にて、東照宮風水フィールドワークを催行しました

立命塾研究会にて、東照宮風水フィールドワークを催行しました

 5月下旬にさしかかり、薔薇の大輪が開花し、若葉萌ゆる深緑の初夏となりました。

2024.5.1撮影 薔薇

ウメサンの拙宅近くの田んぼに水が張られ、田植えが終わったばかりです。夜ともなるとカエルの大合唱が、ケロケロウメサンの異名を持つ拙者にとってはとても心地良く、活力源となっています。
ウメサンも今年で早68歳となりますが、お陰様で私塾の立命塾も18年目の第18期生を迎えることができ、先ずは古希を迎える2年後の第20期を催行できるよう、健康に留意して頑張りたいと思っています。立命塾卒業生も百数十人を数えましたが、卒業して免状を取得した門人同志の交流の場として、4年前から立命塾研究会を立ち上げ、現在30名ほどの会員により、サイトを通して、日々の研鑽や実践の報告、質疑応答など、活発な交流の場となっております。風水学、易学、四柱推命学の3学問における研究の場ですが、風水学は現代住宅の多様化により、古書や口伝の理論技法では対応できないこともあり、現代に対応できる風水学の研究の場として、塾頭の私もみんなと肩を並べて、研究に勤しむ覚悟です。
その一環として、5月7日8日に一泊二日の日程で、二日間とも雨天ではありましたが、東照宮風水フィールドワークを催行させていただきました。昨年、研究会会員の有志3名が手を挙げ、天海僧正(下画像は日光輪王寺護摩堂内に安置されている天海僧正坐像)が風水を駆使したとされる、徳川家康の墓所のある東照宮を風水学的に研究するタスクを担っていただき、その研究をもとに、今回フィールドワークを行いました。タスクを担ったリーダーの東山先生はじめ吉末先生、五十嵐先生に感謝申し上げます。

2024.5.8 天海僧正坐像(輪王寺の護摩堂)

東山先生が作成されたガイドブック(下画像は表紙)は60ページ超に及ぶ力作でしたが、その研究内容のごく一端ですが、ガイドブックよりいくつか抜粋してご紹介させていただきます。(画像の数字は、ガイドブックにおけるチャプターの数字です。)

東照宮謎解きツアー表紙

日光と言えば、東照宮をはじめ、二荒神社、輪王寺、中禅寺などの寺社仏閣、男体山、中禅寺湖、華厳の滝など、多くの観光名所を思い浮かべる方が多いと思います。(下のMAP参照)

日光寺社仏閣MAP

1999年に「日光社寺」として世界遺産登録されたこともあり、外国人観光客も多く訪れていました。中でも、東照宮は関東圏であれば、今も昔も小中学校の修学旅行先となっていますが、折しも日程的にその時期と重なり、多くの修学旅行生も相俟って、雨中ではありましたが賑わっていました。
(下画像は大鳥居越しに撮影した陽明門)

大鳥居越しに陽明門を臨む

東照宮には、豪華絢爛の陽明門、眠り猫や三猿(見ざる聞かざる言わざる)、獏、麒麟など多数の彫刻、鳴き竜(薬師堂)、魔除けの逆さ柱など、様々な見所がありますが、それらの説明は他サイトに譲らせていただきます。
今回のフィールドワークは、奥宮(徳川家康墓所)を中心として、天海僧正が仕掛けたであろう風水術を検証するためのフィールドワークで、下記のルートで探索しました。

フィールドワークルート

天海僧正が仕掛けた多くの風水術のうち、奥宮(徳川家康墓所)を中心とした風水を紹介させていただきます。以前のブログでも述べましたが、ウメサンは天海僧正こそ、日本歴史上最高の風水師でもあったと思っています。
家康公の墓所である奥宮は、東照宮の裏手にある207段の参道を上ったところに造営されており、このルートにも風水術の仕掛けがなされていますが後述します。
先ずは地理地勢を吉凶判断する巒頭風水の観点から考察します。

奥宮を龍穴とした四神相応地図

地理風水では、四神獣に護られた場を四神相応と呼び吉地とします。四神獣とは玄武、青龍、白虎、朱雀のことで、具体的には地理地勢を例えています。
玄武=地の氣を流れ来たす背後の山々で背後の護り
青龍=玄武を背後とすると左側を護る山稜
白虎=玄武を背後とすると右側を護る山稜
朱雀=玄武を背後とすると前面に広がる平地
奥宮を中心とすると、
玄武=女峰山
青龍=外山
白虎=大黒山
朱雀=日光市街地
となり、まさに四神獣に護られた四神相応の地と言えます。しかし四神相応となっているだけが吉地の条件ではありません。
風水では、山の尾根伝いに下りくる地の氣の流れを龍脈と呼び、地の氣を龍で例えますが、女峰山から尾根伝いに下り来る龍(地の氣)は、一度頭を擡(もた)げ、ちょうど奥宮のある辺りで口を開けて地の氣を吐き出しています。龍が頭を擡げたような小山を「龍脳(龍頭)」と言い、龍が口を開けて地の氣を吐き出す場を「龍穴」と言います。(穴と言っても、実際に穴になっているわけではなく、旺盛な地の氣が溢れ出るスポットを言います。)
そして龍の首に当たる地勢が締まっていればいるほど、吐き出す地の氣もより旺盛になります。例えれば、ケチャップやマヨネーズを絞り出すときに、容器をより強くギュッと絞るほど、勢いよく出てくるのと同じです。女峰山から奥宮への龍脈は、まさにこの要件を満たした地勢となっております。
さらに龍穴の前方は、龍が吐き出した地の氣が溜まるような平地が必要で、明堂(めいどう)と呼ばれますが、大谷川(おおやがわ)により区切られ、東照宮はじめ輪王寺などがある地がこの明堂に当たります。
400年前に建立された奥宮はまさしく、四神相応の吉地であり、龍穴上に建立されているのです。
この奥宮への参道ですが、陽明門をくぐり、拝殿の入口である唐門前を右折して、東回廊をまっすぐ行き、有名な「眠り猫」の彫刻がある潜門をくぐると坂下門があり、ここが参道の入口となっています。

唐門(拝殿への入口)
唐門(拝殿門)
眠り猫(左甚五郎作)
眠り猫

ここから上りの石段が続くのですが、なんと207段もあります。67歳の老体に鞭打ち、一段一段丁寧に踏みしめつつ5分ほどかけて上って行きました。だんだんと息遣いも荒くなりながらも最後の石段を上ると、10アール(1,000㎡)はあるであろう広い墓所の東側に着きますが、マイナスイオンと生氣に満ちており、すぐに呼吸も正常に戻りました。まさに龍穴地であると実感しました。

奥宮拝殿
奥宮拝殿
奥宮の宝塔
奥宮(徳川家康墓所)

家康公の骨が納められているとされる宝塔の東南には、獅子と亀の上に乗った鶴が墓所を護っています。この亀の頭部は、龍が産んだとされる九子のうちの七番目の子「睚眦(ヤアズ)」に似ていました。

奥宮の獅子と鶴と亀
亀の顔部分と睚眦(ヤアズ)
亀の顔部分と睚眦(ヤアズ)

鶴と亀と言えば、「かごめかごめ」の歌を思い出す方も多いのではないでしょうか。意味深で不思議な歌ですよね。いずれ立命塾研究会として、見解を述べたいと思います。

さて、奥宮参道をマップ上で確認してみましょう。

表門より奥宮までの参道
北斗七星を象った参拝路(表門~奥之院)
参照︓暁の空https://ieyasu1543.blog.fc2.com/blog-entry-25.html

表門より入るとすぐ左折して、左手に三猿の彫刻がある神厩舎(しんきゅうしゃ)を観ながら直進すると正面にお水舎(おみずや)があり、お浄め後今度は右折して石鳥居をくぐり階段を上がると陽明門があります。陽明門をくぐり、拝殿の唐門前を右折して直進すると、眠り猫の彫刻がある潜門があり、そこをくぐると奥宮に続く207段の階段に続く坂下門があります。踊り場で折れ曲がった階段をせっせと上って行くと、ようやく奥宮に到達します。
表門から奥宮までの参道は、まさに北斗七星を象っています。
道教に由来する北⽃信仰の考えでは、北極星を中心として回る北⽃七星は天帝()の乗り物とされます。それぞれ「貪狼星・巨⾨星・禄存星・⽂曲・廉貞星・武曲星・破軍星」と名付けられ、⼈の⽣死を⽀配する使命神とされました。陰陽道は北⽃七星を厚く信仰し、「破軍星の⽅向に向かって戦いを挑めば必ず負け、破軍星を背にして戦えば必ず勝つ」と信じられていました。
奥宮はまさにこの破軍星の位置となっています。さきほど、奥宮の宝塔そばで守護する亀の顔が、龍の七番目の子「睚眦(ヤアズ)」に似ていることを前述しましたが、ヤアズは龍生九子の中でも最強の戦士とされ、まさに破軍の化身と言えます。
参道が北斗七星形であるだけでなく、さらに驚くことには、北斗七星はその形状から柄杓星とも言われますが、柄杓の上部分となる巨門星と貪狼星を結んだ線上で、巨門星と貪狼星の線分の5倍の位置に北極星があります。
これを東照宮に当てはめてみますと、お水舎が巨門星、表門の先が貪狼星に当たり、その線上5倍の位置には、児玉堂があります。

北斗七星と北極星
参拝路と児玉堂=北斗七星と北極星
児玉堂
児玉堂

⻄暦820年、真⾔宗の開祖である空海がこの児⽟堂を建⽴したとされ、虚空蔵菩薩の化⾝とされる宝珠が祀られています。虚空蔵菩薩は、宇宙と同じくらい無限に広い知恵と功徳を持ち、常にこれらの徳を民衆に与えて諸々の願を満たす、大慈大悲の菩薩とされています。
伝承によると、現在の東照宮の北方にある滝尾神社付近の⽩⽷の滝に⼋葉蓮華池に似た池があり、空海がその池畔にて「仏眼⾦輪の法」を17⽇休むことなく瞑想していると、池の中から⼤⼩2つの⽩⽟が、湖から現れたとのことです。そして⼤きな宝珠を、北極星の神である妙⾒菩薩の化⾝であると考え、中禅寺に祀り、⼩さな⽩⽟は⾦星「虚空菩薩」の化⾝としてこの児⽟堂に祀ったとのことです。
いかがでしたでしょうか。今回は徳川家康墓所である奥宮をはじめ東照宮境内にて、天海僧正が風水術の限りを尽くした一端をご紹介したに過ぎませんが、緻密で絢爛豪華な建築様式としての東照宮だけではなく、そこには徳川家の繁栄と太平を願い、天海僧正が仕掛けた風水術の数々を垣間見ることができるのです。日光山東照宮は、香港や京都に勝るとも劣らない、風水術の宝庫なのです。
1616年に徳川家康が死去してから400年以上経ちますが、1999年には東照宮はじめ日光社寺として世界遺産登録され、それ以前もそしてそれ以降も、修学旅行地として、観光地として、国内外から多くの訪問客が訪れ続けているのは、天海僧正が仕掛けた数々の風水術が功を奏した結果だとウメサンは実感しております。
このブログでは60ページ超のガイドブックから数ページだけを引用して天海僧正による風水術の仕掛けをふたつだけご紹介しましたが、タスクを担ってくれた東山先生、吉末先生、五十嵐先生の研究成果をベースに立命塾研究会として、年内にはデジタル書籍にして出版したいと考えています。

※天海僧正
 2021年3月5日投稿記事にて詳述しましたので、参照いただけると幸甚です。追伸
ウメサンの私塾「立命塾」では、プロの鑑定士養成講座として、風水学、四柱推命学、易学の講座を行っていますが、2024年6月22日より、第18期実践的風水学講座が開講します。ご関心ある方はご照覧いただき、入塾をお待ちしております

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