シルバーウィークも明日で終わりますね。今年は台風25号の影響で東日本では、21日までは雨天、荒天続きで、交通機関も軒並み欠航、運転見合わせ、遅延となり、さんざんな休日となってしまいましたが、22日は台風一過で、ここ桶川は今月初めての秋晴れ、秋風がとても清々しい一日となりました。明日は秋分、彼岸の中日ですね。妖しく静かに燃えるような朱色の彼岸花が、先祖への感謝の思いに誘ってくれます。
さて、前回は第一次世界大戦を、三国協商対三国同盟という構図より考察しましたが、第二次世界大戦はどんな構図になるでしょうか。
先ずは開戦から終戦のおおまかな経緯を見てみましょう。
1. 開戦期(1939年~1940年)欧州での勃発とドイツの進撃
1939年9月 ドイツがポーランドに侵攻。これに対しイギリス・フランスが宣戦布告し、ヨーロッパで大戦が勃発。
1940年 ドイツがフランスや北欧を次々と占領(電撃戦)
※電撃戦
稲妻のように素早い攻撃で、敵に立て直す時間を与えないことからこう呼ばれた。
具体的には、戦車などの機甲部隊と空軍力を集中させ、敵の防衛線を短期間で突破
して敵を混乱・制圧する戦術のこと。
1940年 日独伊三国同盟が結成
2. 拡大期(1941年):独ソ戦の開始と太平洋戦争への発展
1941年6月 ドイツがソ連に侵攻し、独ソ戦が開始。
1941年12月 日本がハワイの真珠湾を奇襲攻撃⇒アメリカが参戦し、太平洋戦争開始。
戦線はアジア・太平洋全体へ拡大。
1942年1月1日 ワシントンにて、米英ソ中など26カ国が連合国共同宣言に署名
3. 転換期(1942年~1943年)枢軸国の後退
1942年6月 太平洋ではミッドウェー海戦で日本が惨敗。
1943年2月 欧州ではスターリングラードの戦いでドイツ軍がソ連に降伏。
これを機に連合国が反撃に転じる。
1943年9月 イタリアが降伏。
4. 終結期(1944年~1945年):ドイツ、日本が降伏して終戦
1944年6月 連合国軍がフランスのノルマンディー上陸作戦を敢行。ドイツを東西から追い詰める。1945年4月 ソ連軍がベルリンを包囲し、ヒトラーは自決。
1945年5月 ドイツが無条件降伏。
1945年8月 日本に原子爆弾が投下(広島・長崎)され、ソ連も参戦。
1945年8月14日 日本がポツダム宣言を受諾。
1945年8月15日 天皇が玉音放送でポツダム宣言受諾を国民に発する。
1945年9月2日 日本が降伏文書に調印し、第二次世界大戦が終結。
以上が大まかな経緯ですが、第二次世界大戦の構図はどうなるでしょうか?
大戦の経緯から、下記のような構図になります。
連合国側は英仏米三国を基盤とし、さらに中国とソ連が加わった五か国、対する枢軸国側は日独伊の三国という構図です。
枢軸国側は、1940年に日独伊三国同盟が結ばれたので、反論される方はいないと思いますが、連合国側が英仏米の三国を中心としているが、フランスはドイツに国土が占領されて早々に降伏したのだからおかしいと思われる方もいるでしょう。
確かにドイツ軍の侵攻によりフランスのパリが占領され、フランスは降伏しました。フランス国内にはドイツに協力的なヴィシー政権が成立しますが、将軍のド・ゴールはイギリスに亡命し、BBCを通じてフランス国民に抗戦を呼びかけ、ロンドンに自由フランス(のちの「戦うフランス国民委員会」)なる臨時政府を樹立しました。
フランスの降伏により、ヨーロッパ内でドイツと対峙するのはイギリスのみとなりましたが、イギリスを救うため、アメリカは武器貸与法(レンドリース法)を制定し、物資支援を強化します。
そんな中1941年12月、日本軍による真珠湾攻撃をきっかけに、アメリカは完全に第二次世界大戦へ参戦し、連合国側の勝利の大きな原動力となっていくのです。
こうした経緯を見れば、英仏米の三国が基盤となり、中国ソ連をはじめ多くの国々が参戦して、連合国が作られていったと言えるでしょう。
第一次大戦と同じく、三国ずつが締結して対立構造が築かれていったと言えるのではないでしょうか。
次回は、まだ起こっていない、いや起こってはいけない、第三次世界大戦の構図をもとに、考察したいと思います。
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