風水の基礎知識

陰宅風水と陽宅風水

陰宅風水と陽宅風水

風水の分類法にはいくつかありますが、易学の陰陽思想より、陰宅と陽宅に分類されます。

イ)陰宅風水

風水は中国において、二千年以上の長い年月をかけて構築されてきた環境学ですが、元々は、父母を始めとした先祖をどの地に埋葬するか、そして墓の向きをどうするか)といった墓地の環境が、自分や自分の家族、
そして子孫の繁栄に大きな影響を与えることを知り得てきたのです。

墓地風水の理論書として、最も古い有名な文献は、紀元後3世紀~4世紀にかけて活躍した郭璞(かくはく)が記したとされる「葬書」です。
その書の中に、

「・・・経者、乗生気也。気乗風則散、界水則止。古人聚之使不散、行之使有止、故謂之風水。風水之法、得水爲上、藏風次之。・・・」

と書かれており、この時代には既に、風水という用語が存在していたことが伺えます。

一説によれば、郭璞が活躍した晋代のはるか前、まだ風水と称される以前から、紀元前約200年の秦の始皇帝の時代には、後述する巒頭に近い理論がかなり確立されていたと思われます。
秦の始皇帝が眠る始皇帝陵は、兵馬俑出現でより有名となりましたが、西安の東北臨潼県にあります。
紀元前221年、中国全土を統一した始皇帝は、死後も中国を統治し続けたいという願望を持ち、生存中から陵墓の築造を始め、死後にようやく完成しました。
陵墓を中心として、南は驪山(りざん)を背にし、北は渭水(いすい)に臨んでおり、地形は平らで広く、古代中国において、空前の権力を誇り、死後も統治を続けようとした皇帝の陵墓を築くうえで、理想的な「背山臨水」の地と認識されていたのでしょう。
しかし「漢書」と「水経注」の記録によれば、絶大の権力を誇った始皇帝亡き後、始皇帝陵は紀元前206年に項羽によって破壊されたようです。
項羽のみならず、中国の長い歴史における戦争の戦術として、敵の権力者の先祖が眠る陵墓を破壊することは必然とされてきたようです。
裏を返せば、それだけ、墓地風水の影響が大きいことを意味していると言えるでしょう。
実際、始皇帝陵が破壊された206年に、500年以上の長きに渡って栄華を誇った秦(BC.778~BC.206)は滅亡しました。

今日陰宅と呼ばれる墓地風水は、今から2200年も前からすでに、時の皇帝を始めとした権力者を中心に、死後も子孫の中に生き続け、子孫と共に安寧と繁栄を享受するがために用いられていた玄妙なる高等技術だったのです。
では、先祖の埋葬地の環境が、どうして子々孫々に影響を与えるのでしょうか?

そのメカニズムを簡単にまとめると、「埋葬された先祖の肉体(長い年月をかけて最終的には骨のみとなる)は、埋葬した地の『地の氣』と、埋葬時の『天の氣』を受け、その『天地の氣』を血族である子孫達も感応する。」となります。
“感応する”という動詞は、多分に曖昧な表現ですので、あくまで拙者の仮説ではありますがもう少し下線部分を具体的に記しますと「・・・、先祖の骨の骨細胞にあるDNAが発する波動と、先祖より受け継いだ遺伝子情報を有する子孫のDNAが発する波動は共鳴するゆえ、埋葬された先祖の肉体(最終的には骨)が受ける『天地の氣』が子孫に影響を与える。」となります。
この仮説の真偽はともかくとして、今から二千年ほど前の中国にて郭璞が記したとされる葬書には、子孫に影響を与える埋葬地の重要性が説かれているのです。

実際中国の歴史を見てみると、戦さにおいては、敵の王や将の先祖の墳墓を破壊することを重要視してきた痕跡が数多くあるようで、これは上記下線部分の裏返しと言う事ができ、いかに陰宅(墓地風水)が重要なのかを表していると言えるでしょう。
なお陰宅風水がさかんであったころの中国では、埋葬法はもちろん土葬であったゆえ、長い年月をかけて肉体は朽ち、最終的には骨だけは残っていくという過程において、ずっと天地の氣を受け続けていくと言うわけですが、短時間に高温で焼いて骨化し、瞬時にDNAも焼失されてしまう可能性(※)のある火葬による埋葬の場合にも適用できるのかは、現代の風水師が今後検証していくべき重要なるテーマではないでしょうか。
(右の画像は、墓向測定中の談氏三元玄空地理第4代伝人の劉育才老師)

※骨細胞のDNAは、1200度前後の高温で焼かれると破壊されるますが、日本における火葬炉の温度は、1000~1500度の範囲のものが多いようですので、DNAも焼失されている可能性は高いと言えます。

ロ)陽宅風水

先祖を埋葬する墓地を『』と呼ぶのに対し、地上に生存する人間が、居住、仕事、遊興等、人としての営みをなす「場」である建物(集合住宅であれば各ユニット)とその敷地を『』と呼び、陰陽に分類されていますが、これはかなり後世になってのことのようです。

もともと風水は、イ)で前述したとおり、生氣の宿る地に先祖を埋葬することによる、子孫の安寧と繁栄を主目的とした墓地風水だったのですが、唐代あたりからは、王宮を中心として、やはり安寧と繁栄を目的とした都の建設という、スケールの大きな国家的事業に応用され、中国のみならず、その理論と技術は近隣諸国にも伝播されました。
中国の長安(現西安)、韓国の京城(現ソウル)、日本の平安京(現京都)などはその代表です。

さらに近代(中国清朝末期以降)に入ってからは、墓地風水で築かれてきた風水の理論や技法が、一般庶民の居宅にも応用されるようになっていったと思われます。

そして現代の陽宅風水は、住居としての建物、会社で所有しているビル一棟、雑居ビルにある事務所や店舗等、建物の敷地も含めて、多種多様の物件が対象となります。
風水鑑定の目的も、陰宅風水が子孫の安寧と繁栄という宗族(※)家系次元から、商売繁盛や収入増加(財運アップ)、病気回復や健康維持(健康運アップ)、恋愛や結婚成就(恋愛運、結婚運アップ)、家族関係や人間関係の改善等、家庭や個人次元の願望成就へと変遷してきました。

※宗族 ;ソウゾクと読む。本家と分家をあわせた全体。一族。一門。中国では、父系の同族集団をいう。

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