秋田県藤里町にて、小学校1年生の米山豪憲君が、何者かの卑劣な魔の手にかかり、殺害されてしまいました。こうした幼子の殺害や虐待事件が、ここ数年、特に昨年から頻発しています。どうしてこのような、幼子を狙う卑劣極まりない事件が後を絶たないのでしょうか?
昨年は四緑木星、今年は三碧木星の年ですが、年の九星(または易卦)の象意からだけでは、こうした現象を説明できません。しかし、三元九運と絡めて考察してみると、幼子の受難を暗示していることがわかります。三元九運では、2004年から20年間、第8運期に入っています。(ちなみに1984年~2003年までの20年間は、第7運期でした。)第8運期は九星の八白土星が司る期間ですが、八白の象意のひとつとして、「少男または幼子」があります。ですから、三元九運と年運を司る九星の五行関係を見ると、昨年も今年も「木剋土」という相剋関係となり、幼子が剋されるという暗示が見えます。取り分け今年は三碧木星ですが、3と8は玄空五行でいうと生成数の関係となり木化しますので、なおさら土性の8(八白)は、昨年以上に剋が強くなっています。
ということは今年は、まだまだ幼子の受難が続く可能性が高いということが言えます。しかしこうした易学的暗示というものは、100%宿命的なものでは決してなく、前もって暗示を知ったならば、よくよく注意して善処していくべきことを教示してくれているわけです。
それでは一体、いかにしたら幼子を受難から守ることができるのでしょうか?その対策を、やはり易学的に考察してみました。五行関係で言えば、木と土の間に火を入れると、木生火生土という相生関係となり、剋が解消されます。五行の火に相当する九星は九紫で、易卦では「離」です。この象意のひとつに「眼」があります。この象意から言える事は、当然といえば当然のことですが、子供をしっかりと見守らなければならないということです。具体的には、町村などの自治会単位でパトロールをするなどが考えられます。実際ウメサンの村でも、小中学生のいるPTAはもちろん、小さな子供がいない家庭の大人もローテーションに入っています。こうした受難時代を通し、古き良き時代にあった「隣組」のような親しいご近所関係が、徐々にではありますが回帰されるきっかけになっている気がします。
九紫の象意にはほかに、「教育・宗教」というのもあります。宗教と言っても、何も宗教団体に入るべきということではなく、宗教の本当の意味は、“もと(宗)の教え”ということですから、神仏等、目に見えないものに対する畏敬の念を持つことの大切さを説くべきではないでしょうか。こうした真の“宗教”教育は、学校というよりもむしろ家庭単位で行われるべきものでしょう。幼い頃から、神棚や仏壇に毎朝敬虔に手を合わせて祈る祖父母や両親の背中を見つめて育つ子供と、そうでない子供とでは、情操の成熟に大きな差がでるのではないかと、ケロケロウメサンは確信しています。そして戦後の、こうした生活に根付いた“宗教”教育の欠如が、卑劣な犯罪者を多く生み出す社会環境を築いてしまったのではないでしょうか。
風水学においても、神棚仏壇(神道・仏教以外の祭壇も含む)は重要な風水アイテムのひとつとして、その祀り方をとても重視しているのですが、形だけでなく、神仏やご先祖に対する感謝の気持ち、畏敬の念というものを、今一度家庭単位で大切にしていくべきであり、それを徹底していくことにより、時間が多少かかったとしても、より血の通った家族関係、親族関係、そしてご近所関係、上司関係、友人関係が築かれ、こうした悲惨な事件は減少していくに違いないと切実に思うケロケロウメサンです。
この記事はお役に立ちましたか?
★をクリックしてください。
平均評価 / 5. 投票数