四柱推命学・算命学 易占 雑記

臼井儀人先生のご冥福を心から祈ります(後編)

 早いもので今日から10月ですね。
 今年は例年よりも深秋の度合いが早い気がしますね。
 ウメサンが住むここ桶川の地も、あと二週間もすると紅葉シーズンを迎えそうです。
 さて月初めの投稿は、先月惜しくも他界されてしまった臼井儀人先生の生年月日干支から、四柱推命学と算命学の観点で偲んでみたいと思います。
 臼井先生は昭和33年4月21日生まれです。

生年 戊戌 戊 比肩 比肩 墓
生月 丙辰 戊 偏印 比肩 冠帯  紅艶
生日 戊辰 戊     比肩 冠帯  紅艶  
生時 不明
空亡 戌亥  ※蔵干は泰山流に依ります。

26~35歳 己未 劫財 衰
36~45歳 庚申 食神 病
46~55歳 辛酉 傷官 死 

 生時が不明ゆえ、四柱推命学的な分析ではアバウトとなりますが、偏印がひとつだけであとは比肩ばかりという、とても偏った命式です。これで生時も同じようであればいわゆる強旺格で、印運、比劫運のときに異例の発福発展を遂げる命です。
 実際、大運(十年運)を見ると26歳から10年間、劫財が廻っていますが、29歳(1987年)のときに『だらくやストア物語』が双葉社の『週刊Weekly漫画アクション』新人賞の佳作に入賞し、念願の漫画家デビューを果たされています。
 元々生年干支が戊戌の魁ごうゆえ、学芸に秀でた才能をお持ちですが、1987年は丁卯年で印綬が廻っていました。印綬は学芸運を司る星ですし、まさに時運に乗り努力が実った年でした。
 ご性情としては、土性がとても強いので、人や財を引き付ける引力性が強く、また紅艶をお持ちですので、人気運(特に異性運)があります。
 また、生日干支「戊辰」ないし、太過している比肩から、独立独歩型で、自分独自の世界を築いていく強い精神と運勢の持ち主です。幼少時はその強すぎる運が内向するため、茫洋とした印象を周りに与えがちですが、一旦自分の目標が定まると、持ち前の素晴らしい行動力を発揮し、それに向かって一気にエネルギーを燃し前進していきます。
 とても独創的で、常に新しい対象に目を向けるタイプです。人生の崖っぷちに立つようなことがあるならば、内に秘めていた冒険心がくすぐられ、一見無鉄砲とも思える勇気と精神力で艱難を乗越え、そこから何かを掴むタイプです。それゆえ、集団や組織の中で生きるのはあまり得意ではありません。
 また算命学の観点からは、生年干支「戊戌」と生日干支「戊辰」が納音の関係にありますが、宿命納音のある人は、非常に手堅い生き方となりやすく、秘密主義の一面を持ちます。実際臼井先生は、原稿〆切に遅れたことがないほど手堅い方のようでしたし、漫画家は謎めいた存在の方が良いということで、テレビはもちろん、お顔の写真や画像さえ、ほとんど露出されることがありませんでした。
 そして生年干支「戊戌」と生日干支「戊辰」は納音だけでなく、互換冲殺にもなっています。互換冲殺を所有する人は、天冲殺の原理を利用して、生涯受け身の姿勢を保つことによって波乱を避けていくことも可能ですが、その逆に主体的で自由な生き方をして、太く短い人生を送ることも可能とされます。
 どちらでも選択はできるのですが、どちらが良いのか、悪いのかということは、論じるべきではないでしょう。ただ臼井先生は後者を取られたということは、間違いないでしょう。
 なお生日干支「戊辰」は、算命学では“参籠の業”とも呼ばれ、本来、ある想念や仕事や人間関係等で、意志に反して不自由を強いられやすいという憂いがあります。しかし中年期までに自由を得ることができた場合は、その宿命的穴埋めとして、短命となる憂いがあるとされます。
 十二運は冠帯と墓が並び、“墓庫が開く”命式で、好運期には開いた金庫に多くのお金が入りますが、衰運期には文字通りお墓が開くので注意を要すという暗示もあります。

 さて大運を見ると、36歳~55歳は食傷運が廻り、強旺格の命にとっては安定期に入っていましたが、残念ながら臼井先生は、51歳という若さでこの世を去って行かれました。
 36歳~55歳の大運干支は辛酉で、生月干支丙辰とは干合かつ支合、いわゆる天地徳合の期間です。天地徳合は、命家により見解が異なり、大吉運期とする見解と、逆に晦気と称し、運気が定まらずに災厄を招きやすいとする見解と、吉凶二分されています。後者の中には、死に至る運気であると断言される命家もいます。
果たしてどちらが正しいのでしょうか?
 かくいうウメサンは、現在天地徳合の大運期間に入っているのですが、前者の吉象のほうが具現化していると実感しています。
 (晦気)に対するウメサンの見解はというと、「どちらも正しい!」です。
 「なぬっ!?そんな八方美人的でどっちつかずの見解をしやがって!!」と怒られる読者もおられると思いますが、スミマセンm(_ _)m
 もう少し突っ込んで説明しますと、天地徳合はそれ自体、干合+支合の関係にあるわけで、干も支も五行変化するため、吉凶どちらにしても人生の変革期であることは間違いありません。ウメサンの人生経験ならびに鑑定経験から感じていることは、天地徳合している天干がさらに他の柱の天干や、大運、歳運の天干とも干合する妬合になったり、他柱の天干も干合したり、さらに命式中の地支同士、あるいは大運、歳運の地支と刑冲害の凶関係がいくつか重なってしまう時、天も地も混沌とした運気となるため、災厄を招きやすくなるということです。
 とりわけ臼井先生のように、五行の性情がひとつに偏る強旺格の命の場合は、なおさら影響を受けやすいと言えるでしょう。
 今年(2009年)は己丑年、臼井先生が亡くなられた9月は癸酉月でしたが、生月干-大運干が丙辛の干合、生年干-月干と生日干-月干が戊癸の干合、生月支-大運支と生月支-月支、生日支-大運支と生日支-月支が辰酉の支合、生年支-大運支と生年支-月支が害と、干合、支合、支害が入り乱れている年月でした。また臼井先生の月干丙はもともと火性ですが、辛と干合すると癸の水性に化します。年干支はどちらも土で、戊癸の干合でどちらも丁の火性に化し、強旺格は破格となってしまいます。
 また辰酉の支合は、宿命干支中の強い五行になびく性情があるので、土性を帯びることとなります。
ということは、宿命の6干支中、月干のみが水性を帯び、残りの5干支は火か土、そして大運の干以外の大運支、年干支、月干支はすべて土性を帯びることとなります。さらに言えば、登山に出発された9/11は己未日で干支ともに土性です。
 格が破れた強旺格は極端に脆いとされ、とくに土性の中にひとつ水性が生じる、すなわち比劫の中に財をひとつ見るというのは、「群劫財を貪る!」と阿部泰山先生は称して大凶象とみます。
そして前述しましたように、墓庫が開く命式ゆえ、確かに生命に関わる要注意の年月であったのは間違いないでしょう。
 しかしかと言って、同じ年月日にお生まれになった日本人は何千人とおられるわけで、みなさんが同じような運命を辿られるというわけではありません。
 参籠の業という宿命を持つ中、若い時に“自由”業である漫画家として大成功を収められたという事実との因果は特筆されるべきでしょう。
 方位の凶作用の影響はどうかと言いますと、11日朝、電車で春日部から西北方位にある荒船山に向かわれたそうですが、奇門遁甲ではさほど凶方位ではなく、九星気学においては月盤で本命的殺とはなりますが、決定的に大凶方位というわけではありません。しかし少なからずマイナス的方位エネルギーの影響も加わっていたでしょう。
 そしてこれはあくまで想像ですが、風水的な影響もあったのではないかと思っています。臼井先生がご活躍された年代からして、たぶん今のご自宅は第7運(1984年~2003年)完成と思われます。もしそうですと、氣口である玄関には、5()または7(七赤)が向星として回座している可能性が高く、その凶作用の影響も考えられます。
 臼井先生が大好きな山で、若干51歳という若さで他界せざるを得なかった原因は、運命的要因、方位エネルギー的要因、環境的要因、そして旺盛なる好奇心や冒険心等の様々な要因が重なった結果であると感じます。
荒船山の艫岩を望む
 臼井先生の生前最後の地が、荒船山となってしまいましたが、この荒船山は、地理風水的に見ると案山に当たる山ですが、日本の山の中では大変珍しい地形をした山で、横から見ると山頂が平らとなっており、五行形で言えば土星、九星で言えば巨門星となります。
 例えて言うと、巨大な机のような形となっているのですが、机上で画をかかれる漫画家で、干支学的には土性に偏っておられる臼井先生が、最後に登られた山がこの荒船山であったということは、決して単なる偶然ではないと、しみじみと感慨に耽ったウメサンでした。
 きっと半永久的に、荒船山と言えば臼井先生が偲ばれるに違いありません。
(画像は2006年秋、御堂龍児先生の引率をいただいて群馬へ行った時に、ウメサンが荒船山の艫岩を望んで撮影したもの。)
 クレヨンしんちゃんがこの世に誕生して20年近くになりますが、クレヨンしんちゃん像は当初よりずいぶん変わってきたと感じています。当初は、“ロンハー”と共に、子供に見せたくない番組ベスト3に入っていましたからね。
 しんちゃんも20年近くなって、だいぶ家庭的道徳的になってきたと思います。
 人間は誰しも一生成長するもので、それは家庭の家族関係、すなわち妻、子供との関係、特に子供とともに成長するものだと思っています。
 臼井先生の家庭環境は没後、週刊誌ではいろいろと書かれているようですが、しんちゃんは臼井先生の子供の一人であり、しんちゃんと共に臼井先生も成長していったのではと思っています。というか思いたいですね。
 といっても亡くなられた方に対し、いろいろと想像してもどうしようもないですが、しんちゃんは今後も生き続けるでしょうし、またそのしんちゃんの中で、臼井先生の魂も生き続け、成長するのだと思っています。
鑑定者としては甘いかな!?(笑)

 最後にこの場を借りて、わが第二の故郷である埼玉が育んだ偉大なる漫画家、臼井儀人先生のご冥福を、心より祈願申し上げます。

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