早いもので今年も6月、まもなく二十四節気の芒種を迎えますが、拙宅の近隣の田んぼには水が張られて田植えが終わり、ケロケロウメサンのお友達たちが、夜ともなると大合唱をなしてくれ、毎夜元気をいただいています(^^)
さて、今月最初の投稿は、世界遺産の厳島神社を有する厳島(宮島)についてです。
厳島は通称、宮島とも呼ばれていますが、神の島という敬称にふさわしい通称ですね。
それでは、なにゆえ神の島なのでしょうか?
それに対する大方の回答は、世界遺産にまでなった神社を有するがゆえだと思います。厳島神社については、また後日ブログ投稿させていただくとして、神域は厳島神社境内だけではなく、実は島全体が神域なのです。今日、厳島は松島、天橋立と共に、日本三景のひとつとして知られる景勝地ですが、古代から島そのものが自然崇拝の対象だったのです。
2016年10月2日放送のNHK「ブラタモリ」によれば、593年創建の厳島神社が建つ前から人々は自然と島に手を合わせていたとのこと。その理由は、島の稜線が観音様の横顔のようになっており、横たわっていお姿に見えるからということです。
上画像はウメサンが撮影したものですが、中央の稜線部分を注視ください。
下記二画像はホテル宮島別荘若旦那武内智弘BLOG https://miyajima-villa.jp/press/より転載したものですが、確かにそう見えますね。
厳島の地質は花崗岩で、この花崗岩は節理と呼ばれる縦横の亀裂が発達する性質を持っていますが、この節理に従った長年の風化により、島全体に綺麗ではっきりした稜線ができたというのです。
厳島神社は神社としては珍しい西北向きで、二十四山では巽山乾向です。巽は風の象意を持ちますが、まさに風雨による自然の彫刻により、観音様のお顔とお姿になったのです!感動ですね!!
Wikipediaによれば、島全体が神域(御神体)とされたため、血や死といった、当時ケガレとされたことへの忌避は顕著だったそうです。以下、房顕覚書に書かれている内容を説明したものです。
①島に死人が出ると、即座に対岸の赤崎の地に渡して葬ったとのこと。赤崎は現在のJR宮島口駅のやや西にあり、遺族は喪が明けるまで島に戻ることができなかったというのです。この風習は第二次世界大戦頃までは続いていたそうです。
②島には墓地も墓も築いてはならず、現在でも1基もないということです。
③「婦人、児を産まば、即時に、子母とも舟に乗せて、地の方※に渡す。血忌、百日終わりて後、島に帰る。血の忌まれ甚だしき故なり。」
島の女性に出産が近づくと、対岸に渡って出産後、100日を経て島に戻るしきたりがあったようです。
※ 厳島神社の外宮を地御前神社(廿日市市地御前)というように、「地の方」とは対岸の本州を指す。
④「『あせ山』とて東町・西町の上の山にあり。各々茅屋数戸を設けたり。「あせ山」は血山なるべし。島内婦人月経の時、その間己が家を出て此処に避け居たりし。」
女性は生理の時期には、町衆が設けた小屋に隔離されて過ごしたとのこと。
いやあ、徹底した神域の歴史ですね。
神の島「厳島(宮島)」の近くで、十数年続けて風水鑑定をさせていただけていることに、改めて感謝したウメサンです。
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