風水学 連載コラム

旅行新聞風水コラム第4回 『龍穴上にある東照宮奥社の徳川家康廟』

旅行新聞に、風水コラムの第4回が掲載されましたので、登校させていただきます。
         
          『龍穴上にある東照宮奥社の徳川家康廟』
日光東照宮奥社にある徳川家康公の廟も、まさに点穴された地にあります。家康公は1616年に駿府城にて他界しましたが、家康公本人の遺言により、当初は駿府の南東にある久能山(現久能山東照宮)に葬られ、一周忌を経てから、江戸城の真北に在る日光の東照宮(当時は東照社、1645年に宮号宣下があり東照宮となる)に改葬されました。1617年に家康公側近の天海僧正の提唱どおり、山王一実神道に則って薬師如来を本地とする『東照大権現』の神号と神階正一位が贈られました。家康公は東照大権現様として江戸幕府264年を通して崇拝され続け、徳川家が長期間に渡り将軍家として継続できたのは、風水学的な観点から言えば、龍穴上に家康公が祀られたからだと言うことができるのです。
日光東照宮奥社MAP参照
家康公を龍穴上の東照宮奥社に祀った天海僧正は、108歳という長寿を全うしたと言われ、家康、秀忠、家光の将軍三代の側近として多大な影響を与えてきたブレインでした。家康公が将軍となる前からの側近であった天海は、江戸城を徳川家の居城として選定したと言われています。江戸城は現在皇居となっていますが、この皇居もまた、龍穴上にあるのです。風水は、墓地を対象とする陰宅風水、居宅を対象とする陽宅風水の二つに大きく分かれますが、陰陽両方の風水を操ることのできたこの天海僧正こそ、日本史上における稀代の風水師であったと言っても過言ではありません。
それでは、この稀代の風水師天海僧正とは一体、どのような人物だったのでしょうか!?
(続く)

追伸)
大変遅くなりましたが、先週、2008年版本命星別開運風水アイテムをアップさせていただきましたので、参照いただけますと幸甚です。

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