四柱推命学・算命学 易占 雑記

~2011.2.4 立春 喜多院詣でと年筮をしました~

2011年2/4の立春より、新たな天運、辛卯年が始まりましたね。
ウメサンは、毎年恒例の喜多院詣でならびに立筮をしました。
2011.2.4立春 喜多院本殿前
喜多院には毎年妻と二人で詣でるのですが、今年も午後、二人で行きました。
前日の節分における豆まきの舞台がまだ残っていました。
本殿内には、社会の歴史研究なのか、中学生数人のグループが探索にきていました。
本殿内に入って一年の祈願をなし、お札とお守りを購入して帰路につきまいた。

毎年立春には、一年間に必要な教示をいただくために、擲銭法にて易を立てることにしていますが、帰宅後、心を鎮めてから行いました。
示された易卦は、
本卦が「地火明夷(ちかめいい)」
上爻変で
之卦が「山火賁」(さんかひ)
でした。
地火明夷は、太陽が地に没している形象で、普通のことが普通で通用しない時を意味します。例えば、知恵や才能がある者が、上から圧迫されたり莫大な財産がある者も景気の変動で財を損じたり、なまじ金品が豊かなために強盗に脅かされたりするという時を暗示しています。
山火賁は、火が日、山が止を意味し、文化文明が事物の本体の上に依拠していることを表しています。人物でたとえれば教養ある文化的な立派な人物と見られる一方、表面を飾る虚飾家で、外見の立派な割合に、中味が空虚な人をさします。
運勢もその通りで、見かけ倒しで、人に羨まれるほどには内実がよくない時を意味します。
どちらも大変厳しい卦辞で、正直言えば、出てきてほしくない卦でした(汗)
さらに変爻している地火明夷上爻の爻辞は、道理を持たず、賢い家臣の明徳すら傷つける暴君を意味し、はじめは日の出の勢いで栄華を極めるが、その残虐無道の業ゆえ、最後には地下に葬り去られるという凶暗示です。
いやいや参りました(T-T)
しかし、地火明夷の卦辞に対し、安岡先生は卦の形象と夷の字源から、次のように補足しています。
「地の下に太陽が沈んだ後は皆家に戻るが、疲れてすぐに寝てしまうのではなく、勉強するなり芸をみがくなりして励まねばならない。
また「夷」という文字は、大の中に弓の字を入れた文字で、弓を張って仁王立ちしていることを表しており、武勇を意味する文字である。
卦の形象と字源を合わせると、『昼は元気に勇ましくよく働き、夜は家で明かりをつけて勉強することが大事である。』というのが、明夷が教示する本当の内容である。」
また、山火賁の序卦伝によれば、「賁は飾って美しくすることで、物事はいたずらに付和雷同すればいいというのではなく、文化文明を築くべし。」とあります。
そして深く黙祷して悟ったことは、
風水鑑定や講座等は元気に勇ましく励み、合間には寸暇を惜しんで勉強と研究に励むべし!
塾頭という上から目線ではなく、自分も立命塾門人の一人として同じ立場に立ち、率先垂範で勉強、研究をすべし!
そして付和雷同することなく、己の信念に従い、立命の学問を究めるべく、精進すべし!
という三訓でした。
今年一年は、敢えてこの厳しい卦を胸に秘め、三訓をいつも意識してがんばっていく所存です。
今年も一年、宜しくお願い致しますm(__ __)m

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